あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
残暑のさなかの鰻屋呑み
今年、2023年の夏は暑かった。統計を開始した1898年からの日本の平均気温と比べると、2023年夏の平均気温は例年の1.76°Cプラス。それまで、暑い夏だといっても、最高に暑かったのが2010年の1.08°Cプラス、その次が2022年の0.91°Cプラスだったそうだから、今年の猛暑っぷりのとんでもなさが分かるだろう。
厳しすぎる残暑を乗り切る英気を養おうと、この日、赤江珠緒団長が目指したのは鰻専門店。高田馬場の裏路地に佇む小体な鰻専門店「愛川」だ。今、口コミで人気が鰻登りで、予約必須となったグルメ垂涎の一軒だ。
喉カラカラ、お腹ペコペコの団長を待っていたのは、キンキンに冷えた赤星、サッポロラガービール。さあ、さっそくグビリといきましょう!
――いただきます!
赤江: くぅーーーっ、お・い・し・い! やっぱり一口目は絶対に思っちゃいますね、おいおい、なんて美味しさなんだよって。
赤星探偵団の団長をやってるくせに、毎回ファーストコンタクトで驚いちゃっています(笑)。
この日のお通しは鰻の肝煮。ビールと一緒にわさび菜のお浸しも注文し、クライマックスの鰻重へと向かう“鰻屋呑み”の序章を、静かに奏でていくことにする。
赤江: 若い頃の私にとって、鰻は大人の食べ物の代表でした。20代後半で大阪から東京に転勤になった時、少し背伸びして、ひとりで銀座の鰻屋さんに入ったなあ。鰻屋でお酒を愉しめる人というのが、私が考えるお江戸の素敵な大人だったから、憧れて。
うざく(鰻ときゅうりの酢の物)なんかをつまみながら、鰻重が出来上がるのをゆったり待つっていうね。でも、そんな私の大人イメージをさらに上をいくお店の大人な雰囲気に戸惑って、ゆったりどころか、終始ソワソワしちゃってましたけど(笑)。
(肝煮を食べて)んっ、なんとまあ、きれいなお味だこと。きれいなお味。ホント、キレーーなお味。大事なことなので3回言いました。
わさび菜もピリリと辛くて、お出汁の旨みいっぱい。(赤星をグィッとやって)これはたまりませんなあ。
ふんわり関東風か、パリッと関西風か
店主の島田歩さんは東京・池袋本町の出身。日本料理の道を志し調理師学校に通っていた頃、入谷にある「蒲焼割烹 根ぎし」でアルバイトをしていた際に、ある日特別に食べさせてもらった鰻の旨さに感動。卒業後は、都内の鰻の名店を渡り歩いて鰻職人としてキャリアを積んでいった。
そして2017年、32歳の時に満を持して独立開店したのが、「愛川」だ。
実はここ「愛川」では関東風と関西風どちらの焼き方も味わえる。
ぱっと見は同じように見える蒲焼や白焼も、関東風と関西風で調理法が大きく異なる。武家文化の関東では、切腹をイメージさせる腹開きを嫌い、鰻は背開きにする。それを白焼にしてから蒸し、タレに漬けて再び焼き上げる。やわらかく、ふっくらとした仕上がりが特徴だ。
一方、商人文化の関西では躊躇なく腹開きだ。商談には「腹を割って話す」ことが重視されたので腹開きが好まれたという説もある。開いた鰻は蒸さずにそのまま焼く。余分な脂が落ちて、その煙によく燻されることで香ばしくなり、パリッとした食感に仕上がる。
島田さんによると、かつては包丁や串などの道具も関東と関西では異なっていたが、現在は静岡県以東が関東風、以西が関西風という大まかな傾向はあるものの、細かな手法は関東風と関西風がミックスされているのが実情とのこと。
「うちではすべて背開きですが、蒸してから焼くか、蒸さずに地焼きにするかという違いがはっきり出るように心がけています。おすすめは? いや〜、それはむずかしい質問ですね。関東風と関西風のどちらも出しているのは、自分も両方好きだからでして……。
鰻重なら、あのふわっとした食感がごはんとよく合いますし、酒の肴としては関西風の香ばしさはたまりません……いや、逆もアリか(笑)。やっぱり、その日の気分で決めますかね」
赤江: ははは。お店の方がこんなに悩んでしまうのだから、きっとそれぞれに甲乙つけがたく美味しいんだろうなあ。うーーーん、どうしよう。こういうときに、躊躇なく両方食べられる若い胃袋があったらなあ(笑)。
でも兵庫県出身の私はこれまで圧倒的に関西風をいただいてきましたので、今日は鰻重を関東風でお願いします! ……そして、白焼を関西風で、お土産に! これで、どうでしょう!?
「いいと思います(笑)」
多彩な鰻の串焼きに目移り
関東風・関西風問題とは別に、「愛川」で“鰻屋呑み”を決め込むには、串焼き問題と向き合わなければならない。
鰻の串焼きといえば、身を串に巻き付けて焼く「くりから」、頭だけを焼く「カブト」、尻尾のあたりまとめて焼く「ヒレ」などが一般的だが、同店ではこれらはもちろんのこと、鰻の肝臓だけを焼く「レバー」、アバラのまわりの身をまとめて焼く「バラミ」、さらには「西京漬け」や「粕漬け」、「たたき串」と、見慣れない魅惑的な串焼きのオンパレードなのだ。
赤江団長は悩んだあげく、鰻重降臨までの赤星のお供として、旬の水茄子と、西京漬け、たたき串を抜擢した。
まずは、西京漬けから。
赤江: (目を見開いて)おおおお、なんですかこれは!? 美味し過ぎるんですけど……。鰻を西京漬けにするとこうなりますか!!
ご主人の腕がいいというのはもちろんだと思いますが、「鰻×西京漬け」はこんなことになっちゃいますか。サワラや銀ダラ、鯛も西京漬けにすると、とっても美味しいですよ。でも、この鰻の西京漬けは別格! 鰻ってホント、美味しいお魚なんだなあ。
つい熱くなってしまった団長は、地元関西の夏のソウルフードとも言える水茄子で一旦クールダウンすることに。
暑い時期に生でいただく水茄子は、ますでフルーツのような爽やかな甘みと香りがなんとも心地いい。
落ち着きを取り戻したところで、今度はたたき串。白焼を出汁ポン酢と薬味でいただくオリジナルスタイルの串だ。
赤江:(瞳孔が開いて)ムーーー! おいひぃ! おいひ過ぎる! なんじゃこりゃ。「鰻×ポン酢」……なんて恐ろしいんでしょう。
今日はすでに、鰻の新たな地平を見てしまいました。今、私の頭の中には鰻交響曲「新世界より」が流れています。もう、なにがなんやら。
「美味しいですよね、私もたたき串は大好きです」と話すのは、女将の沙弥佳さん。
「西京漬けもいいですが、粕漬けもまたお酒が好きな方は特に好評なんですよ。それと、うちのヒレは大葉と一緒に巻いて焼いているんですが、こちらも人気ありますね。あと、白焼と叩いた山芋をわさび醤油で味わう白焼の山かけも……」
赤江: ちょ、ちょっと待ってください。思わず追加注文しそうになりましたが、これから鰻重が来るんでした。
きっとそろそろ仕上げにかかっている頃合いじゃないですか。もうね、ラスボスの気配をひしひしと感じるんですよ。
ああ、緊張する。もう一度、水茄子で心を落ち着かせましょう(笑)。
赤江団長史上最高の関東風鰻重
いよいよ本日のメインイベント、鰻重の時間がやってきた。
さあ、団長よ、思う存分やるがいい。
玉手箱を開けると、特上のそれは、肉厚の大ぶりな鰻がツヤツヤ輝きながらピッタリと収まっている。思わず息をのめば、タレの香ばしさがふわり、鼻腔をくすぐる。
赤江: ムフッ。こりゃ美味しいよ、美味しいったら、ありゃしないよ。この蒸し鰻の上品な口どけ。タレもしっかりとしたお味で鰻の旨みがぐっと引き立てていて……。
それから、また、このごはんの旨さよ。粒が一つひとつしっかりしていて、蒲焼との相性が抜群。もう、なんと言いましょうか、これこそまさに、最&高です!
お米は全国のブランド米から厳選した島根県産のつや姫を使用。米本来の旨みが強く、粘りが控えめで上品な炊き上がりになる。タレには、和歌山の老舗「湯浅醤油」のたまり醤油を使用。その旨みたっぷりの醤油に、深い甘味が特徴の三河の「相生桜本みりん」を惜しみなく合わせている。
そして、そのタレの使い方にも、店ならではの特徴があるそうだ。
「うちの関東風蒲焼は、蒸した後すぐにタレに浸けず、もう一度表面を香ばしく焼いています。その工程の後で浸すことで、鰻の表面にしっかりとタレが乗り、食感も心地よくなるんですよ。
加えて、タレの方には鰻の余分な水分が入り込まないので、タレをじっくりと育てていくことができます。修行先の大将と研究してたどり着いた一石二鳥の方法です」
赤江: お世辞抜きに、今まで食べた関東風の鰻で一番です。正直、鰻はパリッとした関西風の方が好みだと思っていましたが、その件につきましては、一旦白紙とさせていただきます。
こうなるとがぜん、こちらの関西風も味わいたくなってきました!
そこへ、おみや用の白焼がちょうど焼き上がった。我慢ならず、その一片をつまみ食いさせてもらうことに。女将おすすめの食べ方、わさびと岩塩をのせて頬張ると……。
赤江: (遠くを見つめて)ああぁ、そうだよな、そうですよね。関西風は関西風で、ああ、そうなりますよね。身の表面と皮目が、カリッ、パリッと香ばしくて、鰻の旨みがよりガツンと来る……。
鰻ってヤツは、ご主人って人は、なんて罪作りなんだ。これは必ず再訪しないと!
最近、「愛川」の評判は台湾や香港、韓国にも口コミで広がっているらしく、アジア圏の熱烈な鰻ファンが多く訪れるようになっているそうだ。
「日本に来たら連日うちにいらっしゃるという方もいます。しかも1日に昼と夜の2回、3日連続とか。さすがに飽きない? って思いますけど、案外いけちゃうみたいですね」(ご主人)
赤江: そのお客さんの気持ち分かる! 私も全部味わってみたいですもん。そんな風に人を狂わせる美味しさがあるんですよ、こちらの鰻には(笑)。
ところで、瓶ビールはどうして赤星を入れているんですか?
「自分が好きだから、ですね。20歳の時からだから、18年間ずーっと赤星を飲んでいます。酒は日本酒でもウイスキーでもあまり拘らずにいろんな銘柄を飲むんですが、ビールはいつも赤星が飲みたくなるんですよね。毎晩、店仕舞いしたら、まずは赤星で一息ついています。
うちの冷蔵庫は、魔法の冷蔵庫なんですよ。いくら飲んでも、気づいたらまたちゃんと赤星で満杯になっているんです。不思議ですよね(笑)」
そう話すご主人の傍で、女将さんはちょっと呆れたような微笑みを浮かべて、それでもやさしく見守っている。
赤江: はははは。じゃ、私もまたこんど、気合い入れて飲みに来ますね。
結局今日は、終始興奮しっぱなしで、鰻屋でしっぱり呑む大人の女にはなれませんでした。関東・関西風問題も解決できていませんし、また近々、お腹を空かせて、万全のコンディションでおじゃまさせていただきます。
――ごちそうさまでした!
(2023年8月23日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:上田友子
スタイリング:入江未悠