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100軒マラソン File No.77

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

「鳥やす本店」

公開日:

今回取材に訪れたお店

鳥やす本店

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※撮影時以外はマスクを着用の上、感染症対策を実施しております。

サッポロラガービール、愛称“赤星”を訪ねて酒場を巡る「赤星100軒マラソン」。今回は数えて77軒目、良き店の暖簾をくぐります。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

場所は、新宿区高田馬場。JR山手線と東京メトロ東西線、西武新宿線が乗り入れており、大きな駅ではないものの、いつも混んでいる印象がある。予備校、専門学校、東京富士大学、早稲田大学が近いために、若い人たちでごったがえしている。

私もその昔、早稲田の第二文学部の学生であったから馴染みがある。けれども社会へ出てからは不思議なほどに訪れることもなく、しばらく見ない間にかつて通ったはずの店の記憶もすっかり怪しくなった。なんとも薄情なOBである。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

けれども、そんな私でも覚えている店がある。それが「鳥やす本店」だ。さかえ通りを入ってぶらぶら行けば、通りを抜けきるちょっと手前。早大OBのみなさんにお馴染みの店である。

■焼き鳥の盛り合わせが590円

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

1969年創業、今年で54年になる老舗は、温かく迎え入れてくれた。

さっそく赤星と、多くのお客さんがまずはじめに頼むという焼き鳥の盛り合わせを注文する。

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すぐさま、大瓶が出てきた。いいぞ。やっぱりこの、ずっしりした存在感がたまらない。お通しはウズラの卵を落とした大根おろしだ。

このおろし、先に全部食べてしまうものなのだろうか。いや、そうではないだろう。脂の強い焼き物と一緒に食べる人がいるし、タレ焼きと塩焼きとの切り替え時に口の中を一度更新するために食べる人もいる。

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ひとり、軽く悶絶していると、焼き鳥の盛り合わせが出てきた。

ウズラ卵を溶くか否か問題は棚上げにして、皿を見下ろす。もつ、すなぎも、はさみ(ネギ間)、つくね、手羽先、ぼんじり、はつ――。いい眺めだ。

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もつの串に手をのばす。うまいぞ。ホッとするナ。ならば、もうひと口、もつだ。それから大根おろしを経由して赤星へ。

いいぞ。これはすばらしい流れだ。と、思わず頷いて、続くはぼんじり。ははあ、これがまた……。オートマティカルに、大根おろしを経由し、赤星へ。もう、いいテンポができている。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

串2本でかなりシアワセになる私は今年で還暦、この店より少し年配であるが、この界隈で酒を飲んでいた40年ほど前から少しも成長していない。実に伸び伸びした初老である。この性分、たぶん死んでも治らない。

昨今、やきとんを食べながら飲むことが多かったせいもあり、焼き鳥のうまさに、改めて気付くのか。はつ、つくね、はさみ、すなぎも、どれもうまい。手羽先がまた格別で、赤星はもはや、お代わりのタイミングである。

■味わい深い名物の煮込み

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私は、すっかり気を取り直していた。

実はこの日、店へ来る前に、大学まで歩いたのだった。寒い日で、馬場から早稲田までのひと駅が長かった。途中、古くから知っている古書店を覗き、色川武大『虫喰仙次』、江連弘也『日本の名騎手』の2冊を買い、穴八幡を右に見ながら緩い坂を下ると、文学部に行きついた。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

キャンパスの雰囲気はずいぶん変わってしまった。そのままだったのは、学生たちがスロープと呼んでいた坂くらいで、その奥までは見に行く気がしなくなった。

かつて、この坂の下には、劇団森の稽古場があった。たしか公演も、スロープ下のなんとかルームでやっていた。親しくしていた友人がその劇団の役者をやっていたからよく覚えている。

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いや、正直なところを告白すると、恥ずかしながら私自身も役者になりたいと思っていたのだ。あの頃は、芝居に出るのではなく、見るだけなのに、緊張でぶるぶる身体を震わせていた。役者にはきっと向かない性分なのだろう。

その部屋が、もう、なかったのだ。入試期間中のためか、学生たちの姿もないし、立て看板やポスターもない。食堂も売店も昔の場所にはないようだ。いまだに校歌もうろ覚えの薄情なOBのくせに、感傷的になっていた。そんな気分を、鳥やすの焼き鳥と赤星の味が、転換してくれたのだ。

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煮込みがきた。手羽先と根野菜の煮込み。ここの名物のひとつらしい。

まずはスープを啜る。じっくり煮込んでいるため、いい出汁が出ていて、味わいが深い。手羽先の旨みは大根にしみ込み、人参は甘いし、牛蒡の食感もいい。やさしくて、甘く、さらりとしているのに深い。すばらしい煮込みだ。

私は、赤星の大瓶を空にして、追加を頼んでから、編集のHさんにもテーブルに加わってもらった。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

お話を伺ったのは、鳥やすの二代目社長、高木直さんだ。昭和45年生まれ。昔の店は、今の半分の広さだったという。

「うちは4人家族で、2階に住んでいました。トイレはお店と共用で、風呂は近くに2軒あった銭湯へ行っていました。当時は行列ができるくらい賑わったので、赤ん坊だった僕は乳母車に乗せられて店の外に出され、並んでいるお客さんにあやされていたそうです。

この狭い道が対面通行だったので、すごく危なかった。実際、僕も妹も店の前で車にはねられて救急車で運ばれたりしたんです。隣にあった喫茶店が閉じることになってうちの店を拡張し、それを機会に住むところだけは引っ越ししたのが、昭和52年のことです」

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昭和52年か……。14歳だった私が高田馬場のこのお店のことは知る由もないが、当時、私の家から近かった吉祥寺や三鷹の焼き鳥屋もたいへん混みあっていたのは覚えている。もっとも、私の育った地域でやきとりと言うと、正肉、皮、つくね以外は豚であったが。

そこで改めて、しみじみと、焼き鳥はうまいなあ、と思うのだ。炭火焼きで脂を落としながら焼き上げるせいもあるだろうが、全体的に、豚より淡泊な印象がある。

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■ビール1ケース飲んだ早大OBも

あらかた撮り終えた写真Sさんも一旦席についてもらい、追加で頼んだのは、バリバリ生野菜盛り合わせだ。

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キャベツ、大根、人参、キュウリにトマトがたっぷり盛られている。キャベツをバリバリやりながら手羽先の串に手をのばし、骨をしゃぶり、大根を口に放り込んで口の中をさっぱりさせる。それから煮込みのスープをひと啜りして、新規の赤星をぐいっと飲む。

たいへん塩梅がいい。店に勤めて20年以上になるという店長の大館さんに伺うと、こちらのお客さんたちはみなさんしっかり食べるという。

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「けっこう召し上がりますし、よく飲まれます。早稲田のOBの中には、ビール1ケース飲んだ方もいらっしゃいます」

1ケースはすごい。聞けば、ラグビー部のOBであるらしい。なるほどね。

「昔、有名になる前の五郎丸さんも、来られたことがあるらしいです。常連のお客さんが連れて来たんだよとおっしゃってました」

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五郎丸さんに限らず、早稲田のOBなら、みんな、さかえ通りにも「鳥やす」にも、思い出があるのではないか。かく言う私もその昔、この界隈で1杯100円のウイスキーのダブル(200円)を4杯ほど飲んで一気に酔ってひっくり返ったことなどがすぐ思い出される。

午後9時ごろまでの講義に出て、9時半に馬場の酒場へ入っても、吉祥寺駅からの最終バスに間に合わせるためには1時間くらいしか飲む時間がない。そんな短時間にダブルを4杯飲めば酔って当たり前。酒代800円で、見事に出来上がったのだった。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

同じテーブルで飲んでいる編集Hさんは、今から20年ちょっと前、ちょうど店長さんが勤め始めたころに卒業しているというから、ふたりはひょっとしたら、この店で出会っていたのかもしれない。当時はまだ、早稲田の校歌を歌いながら酔っ払って暴れる人もままいたという。高田馬場でしかできない芸当だと思うが、昔の人はまあ、伸び伸びしていましたね。

54年の歴史がある「鳥やす」について思い出を綴る稲門会OB文集をつくったら、実に分厚いものができあがるのではないか。いや、1巻ではとてもおさまらないかもしれない。

■レトロ風の新店とはモノが違う

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

そんな妄想も楽しいひととき。続いて注文したのは、ピーマンの肉巻きと、正肉西京漬け。前者は、ピーマンを豚バラで巻いて串焼きにしたもの。まずいわけがないという一品だ。

そして後者は、鶏のモモ肉を白みそに漬け込んで焼いたもの。サワラの西京焼きなど、実にうまいものだが、鶏の正肉も、ひと味違ったおいしさになる。

ちなみにこちらでは2~3週ごとに味違いを提供している。西京漬けのほかには、塩麴漬け、酒粕漬け、味噌漬けがあるというのだから、来るたびに、違った漬け床の味を楽しむのもいいだろう。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

改めて店内を見まわして、ここは、大人の店だなと気づく。40代、50代、そして60代と思われるお客さんたちが、ゆっくりと、楽しげに飲んでいるのだ。レトロ風を演出するばかりの新店とはわけが違う、正真正銘の「昭和酒場」だ。

鳥やす本店、いかにも“赤星”の大瓶が似合う酒場である。

高田馬場で54年、早大OBお馴染みの「昭和酒場」は今なお健在だった

(※2023年2月9日取材)

取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行

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