あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? 赤星探偵団の6代目団長・赤江珠緒さんが、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。 (※撮影時以外はマスクを着用の上、感染症対策を実施しております)
昔の雰囲気そのままに仮店舗で営業中!
“虎ノ門ヒルズ”を冠する地上52階建て「森タワー」が2014年に竣工。それを皮切りに、2020年に「ビジネスタワー」、2022年に「レジデンシャルタワー」が相次いで竣工し、2023年秋には「ステーションタワー」も完成を予定している。
地下鉄に「虎ノ門ヒルズ駅」という駅が誕生したのも記憶に新しい。超高層ビルがものすごい勢いでニョキニョキと建つ虎ノ門は、今、日本で最も劇的に変貌を遂げているビジネス街と言っていいだろう。
今年2月末、創業60年を数える老舗大衆酒場「升本」が大規模開発エリアにかかることから閉店となった。いや、正確には、一旦、従来店舗での営業を休止し、新しいビルが完成するまでは近隣の別所にて仮店舗での営業を続けるという。世の升本ファンたちは閉店騒ぎにヤキモキし、そして、リニューアルオープンの知らせに歓喜雀躍した。
そんなウワサを聞きつけた赤江珠緒団長は、今回、その移転仮店舗版「升本」の暖簾をくぐった。
広々としたワンフロアに、8人掛けのテーブルが等間隔で並ぶ潔い空間。団長はその一つに腰を落ち着けて、早速一杯を頼む。言うまでもないだろう、サッポロラガービール、通称“赤星”だ。
キンキンに冷えて一瞬で汗をかいた大瓶と、小振りでシンプルなグラスが、なんとも様になる。
――いただきます!
赤江: ふーーー。どうしても毎度、ため息が漏れてしまいます。最高です。毎度、最&高なんです!
魅惑的な肴の数々に目移り必至
壁には、定番メニューを記した短冊がずらり。手元には、毎日手書きされるその日のおすすめの品書きがある。壁の短冊を右から左へ行きつもどりつ。手元の品書きをじーっと凝視している。
赤江: 魚はお刺身からフライに天ぷら。お、ポテサラ、マカロニサラダ、肉豆腐にもつ煮込、このあたりの居酒屋の定番もいいですね。塩辛はイカにホヤにと、珍味もいろいろ。とんテキや牛ロースステーキなんていうガッツリ肉系もあるんですね。ブツブツブツ……。
と・ち・お・あげ? とちお揚げってなんですか?
答えてくれたのは、店主の篠原義敏さん。
「新潟県長岡市の名物で、大きな油揚げです。普通の油揚げよりもふっくら肉厚で、結構人気がありますよ。実は私も大好物です」
のった! と即決。それから、吟味の末に決めた2品を注文した。
こちらの升本、料理がどれもボリュームたっぷりで、しかもリーズナブルと評判だ。そのうえ、とにかく提供が早いから驚く。揚げ物も焼き物も注文が入ってから火を入れるというのに、あっという間にやってくる。
ほどなく、団長の前に皿がトントントンと並んだ。とちお揚げ、板わさ、ふきみそ。なんともシブいでラインナップだ。
赤江: わぁ、これがとちお揚げですか!? 想像以上に肉厚でした!
薬味のネギと鰹節、おろし生姜がたっぷりで、なんともまあいい佇まい。どれどれちょいとお醤油をかけまして……んっ、これは美味しい!
いつもの油揚げよりふっくら歯応えがあって、厚揚げよりもサクふわで。赤星にも、そりゃあよく合いますよね。
板わさをつまんでは赤星をグビリ、ふきみそを舐めては赤星をまたグビリ。ふきみそを板わさにのせてつまんでは、またグビリ。
赤江: このふきみそが甘塩で、やさしいお味。手作りなんですね。本当に美味しいです。
赤星にもピッタリだけど、このふきみそで俄然、日本酒もいただきたくなりました。こちら、地酒がたくさんあるようですから。
全国の銘酒を酒屋ならではのお値打ち価格で
トクトクトク、涼やかな水色の一升瓶から注がれるのは、福島県二本松市で醸される「奥の松」の夏限定酒。団長が今の気分と好みを伝えて、篠原さんに選んでもらった吟醸原酒だ。
赤江: なみなみ注いでいただいて、これはお迎えに行かないといけませんね。
(クイっとやって)お、いい! 味がふくらんで、すっとキレがよくて。そしてまたここで赤星をチェイサーでグビリとやりますーー。はい、サイコー。
赤星と同時に日本酒や焼酎を楽しむ“ストロングスタイル”は、歴代団長にもよく見られた楽しみ方だ。料理に寄り添うと評判の赤星は、他の酒にもそっと寄り添ってくれる。
団長も見過ごせなかったように、当店の大きな魅力は豊富に揃う地酒だ。純米酒や純米吟醸酒が中心で、正一合が700円前後とお値打ち。お酒の多彩な品揃えとリーズナブルな価格のヒミツは、酒屋を母体にしているからだという。
「この店は私の祖父が始めました。飯田橋に江戸時代から続く酒卸店『升本総本店』があります。そこから暖簾分けした新橋の『升本本店』に祖父は勤めていたそうです。やがて暖簾分けして独立し、虎ノ門に『虎ノ門 升本』を開業しました。今でもこの近くに酒販店の『虎ノ門 升本』は営業しています。この『升本』は、その酒販店の角打ちから始まったんです」
赤江: あっ“升”はお酒をいただくマスですよね。酒屋さんでは一升マスで量り売りもしていたんですか。屋号のマークも素敵だなと思っていました。
「戦後、モノ不足の世の中では、かなり怪しいお酒も出回ってしまっていたので、酒屋の酒を安心して飲める角打ちは人気だったそうです。当初、つまみは乾き物や缶詰しかありませんでしたが、温かい料理も食べたいという客の要望に応えて、酒屋の近隣に1963年に居酒屋をオープン。1969年に前店舗に引っ越して営業を続けてきました。
祖父の長男、つまり叔父が酒屋を、次男の父がこの居酒屋を継ぎました。私は大学を出て保険会社に勤めていたんですけどね、なぜだろうな、いつの間にか自分も店を引き継ごうと思っていました。バブル後の不況の時だったからかな(笑)」
赤江: へぇー、意外です。ご主人の立ち振る舞いが堂にいっているので、まさか前職がそんなお堅いお仕事だとは。そして、お店にはそんなルーツがあったとは驚きました。
このテーブルや丸イスも、前のお店からずっと使われてきたものだそうですね。使い古されたなめらかな手触りに、多くの方が大切なひと時を過ごしてきたんだろうなあと想像力がかき立てられます。
時代を映す最先端のビジネス街
名物の玉子焼きと一瞬迷ってから注文したのが、しらすオムレツ。なんとも美しいフォルムのオムレツには、これまた鰹節がこれでもかとどっさり、中にはしらすがこれでどうだとたっぷり入っている。
当店は16時半の開店直後から混み合うため、この日は団長のために特別に営業時間外、急ピッチで進む仕込みの真っ最中に開けてもらった。
さらに正直に言えば、まだ午前中。団長にとってはこの日初めての食事なのだが、オムレツに日本酒、チェイサーに赤星とは、朝酒の名手・小原庄助さんもビックリのオトナの朝ごはんだ。
今回、久々に訪れた虎ノ門の変貌ぶりに驚いた団長。長く酒場から虎ノ門を見続けている篠原さんは、街の変化をどのように感じているのか聞いてみた。
「祖父や父の代には、虎ノ門には一軒家の住宅も多く、銭湯も健在だったそうです。それが、1968年に当時日本一の高さとなった霞が関ビルディングが開業した頃から、急激に街が近代的なオフィス街に変わっていったそうです」
「霞が関が近いので、昔から官公庁の職員の方に贔屓にしていただきました。国の許認可が必要な事業、例えばエネルギー関連なんかの大きな企業の方が多いですね。ひと昔前までは、店内はスーツのお客さんで黒一色。女性客は一人もいないのが普通でした。それが20年前くらいから徐々に変わってきて、女性客も増えてきました。
恥ずかしながら、昔は店には女子トイレもなかったんですよ(笑)。そして、さらに虎ノ門ヒルズができ始めてから、客層も大きく変わってきました。スーツ以外のカジュアルな格好の方が一気に増えたし、女性連れ、女性同士のお客さんも多くなりました」
赤江: 時代ですねえ。旧来の黒の背広集団の中に、短パンで素足にローファーの新勢力がやってきたと(笑)。今では私のような女性客も浮きませんか。それはうれしい限りですね。
「女性客が増えて店に活気が出ていると思います。私もそうですが、男って自分のお気に入りの同じ酒、同じ肴ばっかりリピートするんですよ。逆に女性は、今日はこれ、次はこれを味わってみたいとチャレンジ精神が旺盛です。案外、女性の方が肉系も食べたいと思われるようですね。
ステーキやよだれ鶏などの肉料理は虎ノ門ヒルズができてから増やしたメニューです。これまでの店の雰囲気は大切にしながらも、より多くのお客様によろこんでいただくために、私たちもいろいろ挑戦したい。そう思っています」
そんな話を聞きながら、「こりゃまたたまらんですわ」と団長が噛み締めているのは、篠原さんが自ら豊洲で仕入れてきたヒラメの刺身。油揚げ:とちお揚げの比率のごとく、一般的なヒラメの刺身の数倍の厚みがあり、コリコリとした食感を楽しむほどに深い旨みが口に広がる。
赤江: 街がどんなに変わっても、升本さんにはいつも変わらず、ずーっとこの地で私たちを迎えてほしいな。フトコロにやさしくて、確かなお味の肴とお酒。時を重ねた老舗が醸し出す寛ぎの雰囲気。繰り返しおじゃましたいお店です。
次回は、黒の集団の中に咲く一輪の花としてこっそり紛れ込ませていただきますね(笑)。
――ごちそうさまでした!
(2023年4月19日取材)
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
ヘア&メイク:上田友子
スタイリング:入江未悠