あのお店はなぜ時代を超えて愛されるの? お客さんがみんな笑顔で出てくるのはどうして? このたび赤星探偵団の4代目団長に就任した市川紗椰が、名店の暖簾をくぐり、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探ります――。
■人情味と色香が漂う街をぶらり
矢吹ジョーの横に立つのは、丹下段平……ではなく、我らが新団長、市川紗椰。この日やってきたのは、マンガ『あしたのジョー』の舞台としても知られる、その昔は“山谷”と呼ばれたエリアだ。
矢吹ジョーの像が立つ土手通りは、江戸時代、隅田川の氾濫から街を守るために浅草から三ノ輪まで築かれた堤防「日本堤」があったところで、土手の上の見通しのよい街道がかつては吉原遊廓への通り道となっていた。
その土手通りでひときわ異彩を放つ木造2階建ての店が「土手の伊勢屋」。お昼の営業時間帯には行列の絶えない繁盛店だが、この日は特別に通常の営業が終わった直後におじゃまさせていただいた。
市川: 実はわたし、オフの日にこの辺りをよくウロウロしているんです。三ノ輪の昭和レトロな商店街「ジョイフル三ノ輪」が大好きで、メンチカツとコロッケが合体したメンコロとか紅生姜天なんかをパクつきながらぶらぶら。都電荒川線で王子まで行って、飛鳥山から路面を走る都電を眺めるというのが定番コースです。
「土手の伊勢屋」さんの前を通るたびに、素敵な建物だなあ、いつか入ってお食事してみたいなあ、でもいつもすごい行列だからタイミングが難しいなあ、と思っていたんです。
さあ、何はさておき、まずはビール。お目当ての天丼の前に、散歩で乾いた喉を潤そう。もちろんサッポロラガービール、通称「赤星」の登場だ。
おつまみになりそうなものは、お通しの穴子の骨せんべいと、しらすおろしくらいかしら、と女将さん。いえいえ、それで十分。“蕎麦前”ならぬ“天丼前”の一杯は、準備万端整った。
――いただきます!
市川: ふ~~、おいしい。赤星って、ほのかな甘みがあって口当たりがいい。このまろやかな味わいが、なんだかホッとさせてくれます。
(ポリポリポリ……天丼のタレが掛かった穴子の骨せんべいを食べて)あ、コレ、いくらでも食べられちゃうヤツだ。ビールとの相性も完璧すぎて、人間をダメにする危険なおいしさ。
しらすおろしは大葉と柚子の香りがとっても爽やかで、夏の“天丼前”にピッタリ。
創業は1889年(明治22年)。伊勢出身の初代、若林儀三郎が江戸遊郭唯一の出入り口「吉原大門」前に店を開いた。まだ日本堤の土手が存在した当時、伊勢屋の建物は土手に覆いかぶさる形で作られていて、土手側が2階建て、裏手が3階建ての木造家屋だった。そのため、いつしか「土手の伊勢屋」と呼ばれるようになった。
その建物は関東大震災で全壊し、土手も崩壊。現在の店舗は1927年(昭和2年)に建て替えられたもので、檜や欅、桜などの部材がふんだんに使われているのが特徴だ。東京大空襲で焼け野原になったこの界隈では珍しく難を逃れ、2010年には国の登録有形文化財に認定された。
■江戸庶民のファストフード
市川: 内観も素晴らしいです。決して広くはないけど重厚な造りですし、初代が伊勢の方だからでしょう、窓のすりガラスには伊勢海老の細工が施されていたりして、とってもハイカラな印象です。きっといろんな想いが詰まった建物なんですね。
「うちは外も中も、ほとんど昭和初期のまんまです。東京大空襲ではたまたま、風向きの関係で火の手が回らず焼け残ったそうです。実は奥の小上がりの床下は防空壕になっていまして、戦時下の大変な暮らしをうかがい知ることができます」
そう話すのは、伊勢屋の4代目、若林喜久雄さん。天ぷらを揚げる作業を一手に担っている。
「天ぷらの老舗はどこも店が大きくなって、跡継ぎは職人から社長になってしまって板場に入らなくなる。だけど私みたいな商売下手は職人を続けるしかないんです。でも、自分の手で、できる限りの努力をして、おいしい天丼をご提供しているという自信はあります」
若林さんは、「土手の伊勢屋」はあくまで天丼屋だと言い切る。天ぷらとご飯のセットもあるが、客の9割以上が注文するのは天丼だという。
「イ・ロ・ハ」の3種類のなかから団長が選んだのは、穴子と小海老のかき揚げ、海老、旬の魚、野菜3種(この日はハスとシシトウとミョウガ)を一挙に楽しめる豪気な一杯「ハ」だ。
4代目団長の天丼の準備をしながら、4代目の若林さんが天丼の歴史を紐解いてくれた。
天ぷらが広まったのは江戸時代。火事が多かった江戸の街では、屋内で油を火にかけることが禁じられていたため、天ぷらはもっぱら屋台の料理だったそうで、蕎麦や寿司と同様に、道端でさっと食べられるファストフードとして発展した。
明治に入ると屋内での油の使用が解禁され、天ぷら屋は屋台から屋内店舗型へと変化していったのだが、客を呼び込むために店頭の窓を開け放ち、油の香りを外に漂わせる店が多かった。そして、食欲を誘う香りを出すために広く使われたのがごま油だったという。
「ファストフードとして人気となった天ぷらですが、それでもせっかちな江戸っ子には煩わしかったのでしょうね、面倒だからご飯に天ぷらをのせて上からタレをかけてほしいと言い出した人がいたんです。一気にかき込めて話が早いからと。それが天丼となって広がっていったんです」
4代目が完璧に揚げた大きなタネを、女将さんが素早く丼に盛りつける。秘伝のタレを回し掛けたら、はい、一丁上がり。
さあさあ、お待ちかね。揚げたてのアツアツがやってきた。
威風堂々たる迫力に圧倒され、思わず迷い箸の市川団長。意を決して、まずは一番手前のハスをがぶり。
市川: はふはふ、おいひぃ。ホックリ、シャクシャクの食感。ごま油もいい香りです。絶妙な厚みの衣に、濃すぎない上品なタレがほどよく染み込んで、ご飯と一緒にいただくとなんともいい具合なの。
一気にかき込みたい衝動に駆られますが、アツアツで、はふはふ……ぜったいムリ(笑)。
■老舗“天丼屋”の矜持
市川: 「土手の伊勢屋」さんは、場所柄、吉原へ向かうお客さんでもさぞかし賑わったことでしょうね。お隣は“蹴飛ばし屋”として花街でも人気があったという馬肉料理のお店ですし、精をつけて景気をつけたいというお客さんには、こちらの天丼は打って付けだったんじゃないかなと想像します。
「ええ。栄養のある魚介を手軽に味わえるとあって、朝は吉原からの朝帰りのお客、昼は一般のお客、夜は吉原に勤めるギュウタロウ(客引き)、夜中は吉原への出前と、大変繁盛したそうです。そこにある岡持ちは先代が子どもの頃に使っていたものですよ」
「ところで市川さん、江戸前天丼の条件って知っていますか? 東京湾で獲れる魚介から車海老、芝海老のかき揚げ、小魚の3種が入るのが江戸・東京の本来の天丼の姿で、野菜は一切入りません。
昔は炭火を使っていたために油が高温になりがちで野菜を揚げるのがむずかしかった。加えて、ごま油で揚げると香りが負けてしまうんで、野菜はタネとして使わなかったんです。一方、天ぷら専門店では、菜種油や綿実油などを使うようになり、野菜のタネも取り入れて発展していきました」
市川: なるほど。ごま油で大きな車海老、芝海老のかき揚げ、小魚が江戸前天丼の証なんですね。小魚というのは、キスとかですか?
「天ぷらは衣で包んでしまうので、ややもすると見た目が全部同じになってしまいます。そんな訳で、1本で揚げる大きな海老、かき揚げは重宝されました。そして小魚ですが、こちらも切り身ではなく一匹丸のままでなければダメで、一目で何の魚であるかわかることが重要ですから、長い穴子や、あるいは尾ひれで種類が判別できるものが好まれました。その代表が天ぷらでは定番のキスですね」
ここで団長は、丼の中の小魚に注目した。尾ひれはピンクだが、もしかして、鯛? 豪快にパクリといってみる。
市川: わ、おいしい! 身が肉厚で、ホックホク。脂も乗っていてジューシーです。これはいったい何ですか?
「小鯛です。春子(カスゴ)とか桜鯛と呼ばれることもあります。私どもは豊後水道のものを使っています。東京湾では昔のように小魚が豊富に獲れなくなってしまいましたし、産地を限定すると季節によっては本当においしいものを使えなくなってしまいます。そこで定番のキスやハゼ、メゴチなどに並ぶタネをと探し出したのが、この豊後水道の小鯛でした。
江戸前天丼にとってとても大切だと思っているのが、庶民の味であること。つまりお手軽な価格です。確かに生の車海老は美味しいですが、そこにこだわると一杯の値段も跳ね上がってしまいます。今は冷凍技術も発達していますから、うちでは味と価格のバランスを考えて、“ホワイト”という種類の大きな冷凍海老を使っています」
市川: この海老、歯触りがたまりません! そしてこの穴子、衣はサックリ、中はフンワリ。すみません、もう、「おいしい」しか言葉が出てきません……。
■「伝統」は「進化」と共に
「土手の伊勢屋」では、その日の朝に締めた穴子のみを使っているとのこと。それが独特の軽い食感のヒミツだ。
「平日は豊洲市場で活〆穴子を仕入れて、その日のうちに使い切り、翌日には持ち越しません。河岸が休みの日曜はどうしているのかという質問もよく受けるのですが、実は店外に設置している専用水槽に活かしておいた穴子を使っています。穴子は天丼の主役。何よりも鮮度が命ですから、そこには徹底的にこだわっていきたいと思っています」
現在はガス火で油の温度も細かく調整できることから、野菜のタネも取り入れるようになった。また、油もごま油にコーン油をブレンドして、コクと軽さの両立を追求しているそうだ。
「江戸っ子というのは昔も今も新しいものが大好きなんですよ。時代時代に新しいものをいち早く取り入れ、常に変化を加えながら継承してきました。つまり、江戸前の伝統は常に進化しなければならない。
進化をやめて、それまでのやり方だけを守るようになったら、それは伝統ではなくなってしまうのです。私は江戸前天丼を私なりに進化させて、伝統を次世代に受け継いでいきたいと思っています」
市川: 「伝統」の条件は「進化」。目からウロコが落ちるお話です。おいしい天丼と、ご主人の心意気も存分に味わえました。また必ず、今度はちゃんと並んで、自慢の江戸前天丼をいただきに来ますね。
――ごちそうさまでした!
撮影:峯 竜也
構成:渡辺 高
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