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100軒マラソン File No.51

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

「どて焼き 島正」

公開日:

今回取材に訪れたお店

どて焼き 島正

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サッポロラガービール「赤星」を訪ねて店から店へと巡る「赤星100軒マラソン」。はじめて関東を飛び出した取材隊は前回、記念すべき50軒目を名古屋の街から選びました。

【第50給水ポイント】『名古屋・栄の地下街で、飲み屋さんの原型を見た』はコチラ

そして、折り返し後の1軒目となる今回は名古屋編の第2弾。場所は広小路伏見の交差点からすぐ、伏見通りを挟んで御園座の真向かいの一角。名古屋の繁華街のど真ん中にある飲み屋さんへと向かいます。こちらのお店、名物どて焼きが人気の、老舗です。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

どて焼きとは何か。

味噌おでんですよ。名古屋だから八丁味噌の独特のタレで煮込んだおでん。それくらいの見当はつくものの、実はこの私、齢56になるまで、この名古屋の名物で酒を飲んだことがない。ウブで純情な青年よろしく、期待に胸を膨らませているのであります。

店の名前は、「どて焼き 島正」さんです。では、さっそく入るとしましょう。

■はじまりは戦後の屋台だった

大変な人気店で、開店と同時にカウンター席が埋まるとのこと。そこで今回は、取材のために特別に少しだけ早く店へと入れていただき、図々しい限りでまことに恐縮ですが、二代目店主の喜邑定彦さんが作業する鍋の真正面、カウンターの中央に席を取った。

まずは、赤星をいただきます。同時に、どて焼きの盛り合わせもお願いします。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

「どて焼きの発祥については、実はよくわかっていないんですよ。名前の由来は、鍋を焼いてから煮る、というところからきている。鍋の縁に味噌を盛って土手をつくり、中に水を入れて煮ていくと、鍋が火で熱せられて土手が焼けてくる。焼けて香ばしくなった味噌を中の水に少しずつ溶かして味を付けていく。それで、どて焼き」

喜邑さんは、開店準備の手を休めることなく話してくれるのですが、時間をおかずに出てきた皿を見て、まず、驚いた。豆腐、こんにゃく、大根、里芋、玉子、別皿に牛すじ。これで1250円。ボリュームがすごい。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

なにしろ具がでかいのです。そして色が濃い。深く、深く、味が沁み込んでいるのが、ひと目でわかる。ドカンとボリュームのある味噌おでんは、迫力も感じさせます。関東のおでんとも、関西のおでんとも違う。そう、これが名古屋のおでん、どて焼きなのです。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

ただ驚いていても仕方ない。さあ、喰おう。

見た目は濃い。しかしそれは色の問題。どろりと甘辛いかと思ったら、さにあらず。最初に口にしたのはコンニャクだったのだけれど、噛むと味がじわりと口の中に広がって、うすく伸びる。歯ごたえもいいし、嫌な匂いもない。匂いの抜けていないコンニャクよりもはるかに上品な印象で、実に、うまい。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

「うわあ、これはうまいですねえ」

毎度のことですが、バカみたいな感想であいすみません。でも、口をついて出るのだから仕方がない。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

「関東のおでんは、練り物が主体ですよね。練り物にはそれ自体に塩気がありますが、名古屋のおでんは豆腐、大根、こんにゃく、玉子、里芋、牛すじ、たいして味のない具材ばかりです。だから、ダイレクトに味噌を味わっていただく食べ物なんです」

なるほど。具材がシンプルであるがために、味噌のしみ込ませ具合が勝負の分かれ目になるのか……。わかったような、わからぬような。素人ですから、これも仕方がない。いやしかし、それにつけても、このうまさだ。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

実は、仕込みが違う。最初から味噌で煮るわけではないのだ。

「コンニャクは、もとの大きさの3分の2くらいになっています。普通、コンニャクは、コンニャク芋に石灰を入れて固めているから生のままで匂いを嗅ぐと石灰のほか、いろいろな匂いがする。それを茹でると、アクは出るわ、水は匂うわ。けれど、じっくりと煮て、まな板にのせて、重しをのせておくと、どんどん水を吐く。そうなると高野豆腐みたいになってよく味噌を吸い込むんです」

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

冷たいビールに、実によく合う。計算され尽くしている感じがする。これが伝統の味なのか。喜邑さんに伺うと、味の加減は徐々に変化してきたという。

「時代が変わるのに合わせて味も変わります。もののない時代には、甘いもの、辛いもの、味の濃いものが好まれた。けれど、時代が進むにつれて、酒やつまみの味付けも、淡いものになってきた。うちのどて焼きも、昔と今とではずいぶん変わっていますよ」

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

店の創業は昭和24年。喜邑さんのお父さんが伏見で開いた屋台だった。

「広小路の、1キロくらいの道の両側に屋台がずらーっと並び、志那そば、どて焼き、寿司、トンテキ(四日市の名物)なんかを出していた。そのうち、どて焼き出していたのは、6割~7割かな。みんな屋台ですよ。屋台が整理されるのは、東京オリンピックのときです。うちもそのときに屋台をやめて、店を借りて営業をするようになりました」

戦後の屋台に始まり、高度成長、バブル景気を経て、時代の変化、嗜好の変化に合わせて、どて焼きもまた、変わってきたということです。

なるほど。店に長い歴史があると、酒肴の変化を語ることがすなわち時代の変遷を語ることにもなるようだ。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

■ありがたい場所、ありがたい時間

話を仕込みに戻しましょう。大根の仕込みにはさらに手間がかかっている。

「大根は寸胴鍋で煮込む。湯がくのは季節にもよりますが、だいたい1時間半くらいかな。茹で上がったら、今度は小さめの鍋に隙間なく敷き詰めて、水をはる。そうして置いておくとアクが出てきて、水が真っ白になったり、茶色になったりする。毎日水を替えて、これに4日かける。そこから1週間、味噌だしで煮ては冷ましてを繰り返すと、煮崩れないし、温度が冷めていくときに、味が奥まで沁みていくんです」

客に出すまでに11日もの時間をかける大根は、面取りをせずとも煮崩れず、適度な硬さを保ったまま完全に火が入り、中心までムラなく味噌の味と色が沁みている。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

里芋も、抜群だ。

「福井県のブランド芋でね。これはもう絶品なんです」

喜邑さんの表情が緩む。たしかに、粘りがあって、ころころっとした食感も残っていて、鍋底にひっついてしまうようなべたっとした芋ではない。崩れないけれど、柔らかい。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

見た目にはなんとも素朴なコンニャク、大根、里芋なのだが、手間をおしまず仕込まれて、抜群のどて焼きになる。

そうこうするうちに、時刻は早くも午後5時。いよいよ暖簾が掛かります。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

待ち構えていたかのように、お客さんがどっと入店します。そこに混じって、イチゲンの私。すこしばかり緊張して、それでもカウンターの真ん中あたりで飲んでいる。

息子の竜治さんとふたりして、客の対応をしながらおでんを出す喜邑さんの姿を、正面から見る。

喜邑さんは昭和20年生まれ。先代が21歳で店を始めたときには4歳だったが、その当時のことも覚えている。そして、昭和39年に屋台を止めて店を借りたときにも、当初は、屋台時代の雰囲気を残したという。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

ちなみに、筆者の生年は昭和38年であって、酒を飲み始めるのを20年後と穏当に計算するならば、この「島正」の、70年に及ぶ歴史のほぼ前半の半分を知らないということになる。店を知らない、というよりも、その時代の、飲み屋の空気を知らない。

と、考えると、今ここで、カウンターの真ん中に席をとり、どて焼きに箸を入れているこの時間が、たいへんありがたく思えてくる。

「先代は大正13年生まれで、戦争に行っている。終戦で帰ってきたけれど、仕事がない。そのとき、実は戦前に腕の立つ料理人だった先々代、つまり私の祖父が父にアドバイスして、屋台を始めさせたんですね。だから、祖父から数えたら、うちの歴史は100年を超えるんですよ」

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

喜邑さんの口ぶりはさりげない。横でその話を聞く息子さんも、淡々と仕事をこなす。

ああ、いい店を知ったなあ。

■もう一度、最初からやり直したい…

豆腐に玉子、牛すじ、いずれも初めての私には感動をもたらすうまさで、赤星の後は、お隣のシブい常連さんにならって日本酒にしたい。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

賀茂鶴の上等。広島の銘酒だ。これをチロリで燗をつけてもらう。申し分なし。歯止めがきかない感じになってくる。

けれど、酒だけで満足するのは、もったいない。串カツもいただこう。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

揚げたてを、ウスターソースで食べるのもいいが、せっかくです、どて焼きの鍋にドボンと浸けてもらい、味噌味でいただくことにします。

さくさくの衣、豚の脂の甘さ、それを包み込む味噌の風味、すべてが口の中で混然となって、幸せな気分を増大させる。日本酒にもビールにも完璧にマッチする。

呑兵衛にとっては妙な言い方になるかもしれませんが、こちらへ来たら、飯も食いたい。〆に、どてめし(小)を注文する。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

牛すじのどて焼きを白飯にのせ、その上に半熟状態の玉子をさらに乗せ、刻んだ青ネギをぱらぱらと散らしてある。一気に平らげて、この味を記憶に深く刻むのに、2分もあれば十分だ。

うまい! もう一度、最初の赤星からやり直したくなるくらいに後を引く〆の飯です。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

開店から30分もすると、店はいよいよ賑わって、私の背後の椅子でカウンター席が空くのを待つ人もいる。

ごめんなさい。今、空けますからね。

そそくさと席を立ち、店を出る。そして、建物を振り返り改めて思うのでした。

ああ、いい店を知ったなあ……。

名古屋の味噌おでん、生まれて初めて食べました。

取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行

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