「赤星」の愛称で親しまれるサッポロラガービールを飲める店を巡る新シリーズ「赤星酒場見聞録」。新装開店から2回連続で静岡市の名店にお邪魔をした取材隊は今回、大阪へ繰り出してまいりました。
ひと口に大阪と言ってもたいへん広い。大都会であるところの大阪の、いったいどこへ足を運んだかというと、キタとミナミに分けた場合のキタの中心地梅田の、しかも、ひとつの飲食店街に絞り込んで突入してきました。
ひとたび足を踏み入れれば、ズブズブと…

飲食店街とはずばり、新梅田食道街です。
JR大阪駅東側の高架下に位置する飲食店街で、開業は1950(昭和25)年。今年でオープンから75年が経つ。
真上から見るとJR大阪駅と阪急の大阪梅田駅の間に位置している。狭い通路の両側に並ぶ飲食店の数は、1、2階合わせて約100店舗。これらのお店が寄り添い、肩を並べているのだ。
初めて行く人にはちょっとわかりづらい場所かもしれないが、ひとたび足を踏み入れると、奥深くまでズブズブと進んで引き返すのが難しくなる。それくらいに、魅力に富んだ、覗いてみたい店がずらりと並び、訪れる人を待ち受けている。そこに見事にハマった赤星取材隊は、万博開催中の大阪に出向いたにも関わらず、わき目もふらず新梅田食道街を歩き回ったのです。

訪れた6月の半ばから下旬にかけては、赤星のキャンペーンが実施されていた。街に貼ってあるポスターは「大阪で一番カンパイの似合う街、『新梅田食道街』には、赤星やで。」である。
大阪へ来るたびに一度はゆっくり訪ねたいと思っていた新梅田食道街が今まさにキャンペーン中なのだった。これは、はりきって回るに限る。

居酒屋、串カツ、お好み焼、中国料理、洋食、バーなど、いろいろな店があるし、中には立飲みスタイルの店も多く、さっと飲んで帰る、飲みなれた人たちも多いようだ。私のような酒好きがぶらぶら歩くだけでワクワクするのは、一人でも気楽に飲めそうな店がたくさんあるからだろう。
洋食屋さんでステーキなど食べながら水割りもいいし、串カツでビールもいい。私が選んだのは「平和樓」という中国料理の店だった。見るからに渋い老舗である。メニューも見ずに発声するのは「赤星!」のひと言だ。

つまみには棒々鶏と炸春捲。前者はご存知のとおりの蒸し鶏のゴマダレで、後者は、春巻きであることは一目瞭然だが、炸というのは揚げるという意味で、メニューによると、エビ、肉の玉子まき揚げとのことです。
ビールを飲みながら、料理の到着を待つ。ふと振り返ると、壁には漢詩の額が下がっていた。
蓋將自其變者而觀之、
則天地曾不能以一瞬

なんだろ、これ。そのときはわからなかったが、気になって写真に撮っておいたその文言を後で調べました。
思うに、万物は変化すると観るならすべてのものは一瞬も同じではない。一方で変わらぬという観点から見ればすべては不変だ。川は流れるが、なくなるわけでなく、月は満ち欠けするけど、なくなるわけでない。水や風の音や月の光、山の陰までもが尽きせぬ宝なのだ……。
といった内容のくだりで、北宋の詩人、蘇東坡の「赤壁の賦」という作だそうですな。友人と長江に舟を出して酒を飲み、月を眺め、興がのって歌い、語った情景が、浮かび上がってくる。
偶然のことにすぎないけれど、初めて入った店で、こんな言葉の断片を背にしてビールを飲んだのかと思うと、なぜか、とてもいい気分だ。

注文していた2品が来た。棒々鶏のゴマダレの濃すぎない上品さが昼のビールによく合う。ほのかな甘さとさっぱりした蒸し鶏の味わいは口の中で混ざり合い、味を完成させる。
受け継がれる丁寧な仕事

春巻きは具沢山で、ひと齧りして、得した気分にさせてくれた。さて、この具材は何か。このお店の2代目で、現在のご主人、名輪文利さんに伺った。
「タケノコ、ネギ、エビ、豚、春雨です。それを、薄く焼いた玉子で巻いて、揚げているんですよ」
あっ、この皮、玉子なのか。何かが大きく違うと思ったのは皮だった。熱々の春巻きをタレにつけて口へ放り込む、ひとつ、またひとつ。適当なサイズに切ってあるから、テンポよく、次々に食べてしまう。そのノリが楽しい。

お店のオープンは1950(昭和25)年という。
「新梅田食道街の開業と一緒ですね。うちのオヤジは別の場所で仕事をしていたのですが、知り合いから紹介されて、この店を始めたんです。最初は台湾の人を雇って、見様見真似で料理を学び、それからは自分の考えでアレンジしながらやってきたようです」
現在のご主人である名輪文利さんが生まれたのは開業から15年後の1965(昭和40)年で、さらに5年後の1970(昭和45)年には、前回の大阪万博が開催されている。

「当時のうちは、飯屋の印象も強かったんです。これ、昭和40年ごろのメニューです」
名輪さんが見せてくれたメニューには、60もの品名が印刷されていて、各々の下に、手書きで値段が入っている。親子丼130円、八宝菜200円。コーラ50円。基本は中華だが、チキンライスやオムライスもあり、どれも、非常に安い。ちなみに、日本酒の1級は100円、ビールは170円とある。安い。

「冷蔵庫は水冷式を今も使っていますが、これも万博の頃に入れたもの。一度に大勢のお客さんが来るときに備えたんですね。たくさんのビールを一度に冷やすのには、これが一番ですね」
時を超え、ふたつの万博を迎えて

今年で60歳の名輪さんは、先の万博のとき5歳だった。
「アメリカ館でコーラ飲みましたよ」
と言って笑う。ちなみに筆者は当時7歳。東京郊外の公団住宅のテレビで見た万博で覚えているのは、三波春夫と岡本太郎くらい。大阪出身の取材隊撮影担当、カメラマンのK子ちゃんに話を向けると、
「前の万博ですか。ああ、両親の初デートですね。写真が残ってます」
いい話だな。今の万博が初デートなんてカップルもたくさんいることだろう。
スタッフ一同が笑いに包まれたこのタイミングで、みなさんにも食卓について、赤星と、それぞれに食べたい料理を注文する。

炒肉絲はチンジャオロースの豚肉版で、これぞ懐かしい中華の味。焼餃子のパリパリの皮の香ばしさも格別で、一同、赤星が進む、進む。
取材隊は中央の円卓に移動させてもらい、いよいよ腰を落ち着けるのですが、そこへ運ばれたのはイカの唐揚げ。塩味でからりと揚がっていて、噛むと紋甲イカの身の甘さが口中に広がる。

見回せば、隣のテーブル、後ろのテーブル、ちょっと離れたところのテーブルでも、肉団子を注文しているようだ。それ、ウチも乗らせてもらいますとばかりに頼んだのは糖醋丸子。肉団子の甘酢煮である。
赤星の大瓶と、大盛りの白飯と

絶品でしたね。
オーソドックスな酢豚風の肉団子なのだが、揚げた団子に甘酢ダレがからみ、ビールに合うのはもちろん、おかずとしても抜群と思われた。
実際に、私たちの背後のテーブルの男性二人連れは、この料理に、ライスを添えて楽しんでいた。肉団子とライスの皿の向こうに見える瓶ビールが赤星であることも、実にしっくりとくるのであった。

この店の初代、つまり名輪さんのお父さんは、83歳で亡くなる前日まで、名輪さんと一緒に厨房に立っていたという。昭和2年生まれ、海軍の予科練に入ったが、戦地へ向かう前に終戦を迎えた。もうあの時代に戻ってはいけない。そんな思いから自らの店を平和楼と名付けたものか。

「オヤジの訓えといったら、そうですね、お客さんに楽しく飲んでもろうたらええやないか、ということかな」
さりげないそのひと言に、創業75年、親子2代の矜持がこめられている。昭和40年ごろのメニューを見て、書きこまれた自筆の値段とその安さに驚いたが、実は平和樓のランチは、今も一番安いメニューが700円だ。日替わり定食だが、これを目指してやってくる常連は多い。昼から飲みたい人は、短い昼休みにうまいランチを食べにくるお客さんの料理を出す名輪さんの手が開くのを待って、1杯やろうではないか。
ここは長屋みたいなもの

食道街では、食材や酒のみならず、カチ割りの氷まで、足りなくなれば融通し合うという。名輪さんいわく、街というより、長屋みたいな親しい付き合いが、今もあるということだ。
いい話だ。

ニラ玉とやきめしで、締めることにした。品のいいやさしい味わいのニラ玉は、なんとも贅沢な気分にさせてくれる。そのフワフワの食感は、パラパラに仕上がったやきめしに合う。
どのテーブルにも会話と笑顔があった。おいしい料理を前に、大阪のど真ん中で、人々が肩の力を抜いて寛いでいる。平和樓で飲む酒は、とても穏やかな酔いをもたらしてくれるようだった。

(※2025年6月26日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:衛藤キヨコ