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100軒マラソン File No.33

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

「磯吉」

公開日:

京王線府中駅南口。ここには数年前まで、戦後を彷彿させる風景が残っていた。飲み屋、タバコ屋、お茶屋、履物屋、ゲームセンター……。路地に面して雑多な店が軒を連ね、路地の外れには、筆者たちが幼いころから営業を続けきたラーメン屋や餃子屋があった。

この一角の西の外れは、大國魂神社の参道に連なるケヤキ並木の大通りに面していて、付近の再開発が進む中、一種独特の空間になっていた。

それが、ほんの数年前のことで、一角にあった飲み屋の代表格が、「磯吉」という店だった。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

筆者がまだ調布の近くに住んでいて、府中にさしたる深い縁もなかったころ、一度、ふらりと寄ったことがある。目的は競馬だった。

まだ若かったころの話で、競馬に使う金の余裕はまったくなかったが、今のようにネット経由で馬券が買える時代ではなかったため、馬券を求めるには競馬場に足を運ぶのが早かったし、上司から頼まれて断るという選択肢を思いつかない時代でもあったから、競馬に打ち込んでいるわけではないのに、府中へはたまに来ることがあったのである。

お使いとはいえ、競馬場に足を運んだ以上は私も小さな勝負をしてみる。下手だったが、賭け事は好きだったので、ギャンブラーで混雑する競馬場や府中界隈の空気にも、自然と親しみがわいた。

そんな折、ぶらりと入った「磯吉」は混んでいた。その後も何度かお邪魔しているかと思うが、いつ行っても必ず混んでいて、入れなかった日もあった。店の印象は路地の酒場。魚介類もいいし、もつ焼きもうまい。こういう酒場は、あるようで、ない。なかなか珍しい。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

ケヤキ並木の通り沿いには、「磯吉」よりさらに古い大衆食堂があって、たしか「吉田屋」といった。うろ覚えだが、創業は大正年間というから老舗中の老舗だった。定食、蕎麦、ラーメン、なんでもあって、もちろん酒も飲めた。が、そんな老舗も、駅前の再開発によって姿を消してしまった。

■開店と同時に押し寄せる客

「磯吉」や「吉田屋」のあった一角は今、複合ビルになっている。

ル・シーニュというモダンな名のビルの1階。いわば、チェーン店がよく似合うフロアであって、私などはあまり出入りをしない空間なのだが、なんと、そこに、「磯吉」はある。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

ビルのオープンは昨年の夏だったが、私は、一度も足を踏み入れないまま、過ごしてきた。かつて「磯吉」のあった酒場街がなくなった後の府中には、寄るべき場所がなくなった気がして、足が遠のいていた。しかし今回、ビルのオープンから半年を経て初めて出向いてみると、「磯吉」はたしかにあったのだ。

1月某日午後3時。開店と同時に店に入ることになっていた。私は、このビルが面しているロータリーでバスやタクシーを使うことがあるから、新しくできたビルの1階については知っているつもりでいたのだが、一見、飲み屋には見えない地味な構えの店舗が、「磯吉」なのだった。

暖簾も提灯も出ていないのは、ビルの決まりかなにかのせいだろう。もちろん、もくもくと煙が流れてくるはずもない。しかし、この、透明なガラス壁の店の入り口の上には、「磯吉」と書かれている。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

カウンターについて、ビールを頼む。

赤星の大瓶が出てきた。店は私の知っているかつての店よりは若干広いし、なにしろまだ新しい。酒場の雰囲気は、時間の経過によって徐々に味わ深いものになっていくものだろうけれど、こうして眺めてみると、清潔で過ごしやすい店内は、糊の効いたシャツを着たときのような爽快感を与えてくれる。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

カウンターのなかで、店長の中村さんが魚をさばき始めた。やはり、さっそく注文のあった刺身の3点盛りの調理にとりかかっているようだ。その手にあるのは、ぷりぷりと身体の張ったシマアジだ。注文があってからさばくシマアジは最高だろうなぁ、と、ぼんやり思いながらその手元を見ていると、お隣のお客さんの前にレバーが運ばれた。

焼レバ刺風という名の通り、焼いてはあるが、焼きすぎではない、うまそうなレバー。これは、ショウガとニンニクのふたつのタレの味を選べるようなのだけれど、私の隣の和服の似合う粋な方は、ゴマ油も頼んだようで、なんともいい香りが漂ってくる。

ははあ、これは、うまい手だな。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

こちらのメニューは、実に幅広い。それを改めて思い知らされた。香り高い焼きレバーは冷たいビールのつまみには最高であろうし、その後で店の売りでもある魚介を楽しみながら日本酒をいただく、というのは、いかにも理にかなっているとはいえないでしょうか。

お隣にちらちら目をやりながらそんなことを考えていると、私の前に〆サバが出てきた。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

この出来栄えが素晴らしい。調理人の腕の証明とでも言うべきか。店の見識と呼ぶべきか。〆サバのうまい店はとにかく安心、ゆったりした気分にさせてれくれる。

ゆったりとした気分になりかけたところだが、店が混み合ってきたのを感じて、テーブル席へ移ることにした。なぜなら、ひとり客が多いのだ。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

真冬の午後。もうしばらくであたりは暗くなる。そんな時刻にふらりとやってくるお一人様たちは、もちろんカウンターでゆっくりしたいだろう。人ぞれぞれかもしれないが、私なら、カウンターがいい。スポーツ紙や週刊誌など読みながら過ごす酒場のカウンターで過ごすひとときは、なぜか若い頃から好きだった。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

■日を改めて魚介ナイトを開催したい

さて、2品目が登場しました。これは、〆サバと一緒に頼んだカマスであります。ずいぶん時間がかかってるな、と思いながら待っていたのだが、供された皿を見て納得した。開きではなく、エラだけ取って丸のままで焼いているのだ。

しかも、箸をつけて嬉しくなったのは、ほどのいい火加減で焼いているからかと思うのだが、身がふわりとして軽い。味つけは塩のみ。それで十分。文句なしだ。夕方前のビールの喉越しがさらによくなる。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

「ちょっとこれ、最高だよ」

私は思わず、編集Hさんと写真のSさんに声をかけていた。開店からまだそれほど時間が経ったわけではないのに、店には続々とお客さんがやってきて、早くも賑わいをみせはじめている。だから、私たちもその空気に馴染んで、そのまま少し楽しもうと、誘ったわけです。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

この流れはまあ、いつものことではあるけれど、HさんSさんのふたりには日頃馴染みのない府中の街に、昼間から賑わうおいしい酒場があることをもっと知ってほしい。そんな気持ちが、多摩っ子である私に芽生えたということだろう。

予想に違わず、彼らは〆サバにもカマスにも満足し、赤星を追加した。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

つまみのメンマをつまむ。このメンマ、いけるなあ。

さっきまでビールの後は日本酒と半ば決めていたが、ふと思い立ってレモンサワーに切り替えた。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

そして、定番の煮込みと、さらにもう1品、「とんちゃん」というのを頼みます。これは、ホルモンの味噌スープ仕立て。カウンターで、よく食べ、よく酒も召し上がっていたお客さんが店の女性に訊いているのを、ついさっき、耳に挟んでいて気になったのだ。

この2品がまた格別で、ビールにもサワーにも合うことは間違いない。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

ここで改めて壁の品書きを眺めると、日を改めて魚介ナイトを計画すべきかな、と思う。

たとえば、イカゲソ。揚げでも焼きでもいいし、アジフライとか、貝焼きなども捨てがたい。我ながら、自宅からそう遠くないところに「磯吉」があることをうっかり忘れていた時期があったことが改めて悔やまれる。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

そこへ一本の電話がかかってきた。店の女性が対応する。

「4日、〇名様ですね、わかりました、お待ちしてます」

よく通る、いい声で受け答えし、そのあとで、来月4日はなんの日か、確認をした。

「4日は東京新聞杯か。G3だね」

G1レースの日の府中は、たいへんな混雑になるものだが、G3ならまあ、忙しくなるとはいえ、それほどでもないか。そんな意味と受け取った。

いいですねえ。これが府中だよ。ひとつの感懐が満ちてきて、同時に、冬の東京競馬場開催がもうすぐ始まることにも気づく。魚介ナイトは、2月18日までの、どこかの週末になりそうである。

府中駅前の再開発を生き抜いた名酒場で一献

取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行

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