なぜアノ居酒屋は時代を超えて愛されるの? お客さんが笑顔で出てくるのはどうして? 近ごろ「女一人でちょいと一杯」にハマりはじめた赤江珠緒さんが、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探るべく、名酒場の暖簾をくぐる――。
■圧巻、大鍋のもつ煮込み
隅田川の右岸に広がる江東区森下。街の大通りを歩くと、「焼き鳥」や「もつ焼き」「もつ煮込み」といった文字が沿道のそこここで目に入る。呑兵衛なら胸躍らずにはいられない、大衆居酒屋の隠れた過密地帯だ。
その筆頭に挙げられるのが「山利喜」。大きな看板と赤ちょうちんを掲げて建つペンシルビルは、森下のランドマークにもなっている。こちらは本館。そこから徒歩2分ほどのところには新館もある。
まだ明るい晩夏の17時過ぎ。赤江団長は本館のカウンターに腰を落ち着けた。容赦のない暑さの路上とは打って変わって、冷房がよくきいた店内。もつ煮込みの大鍋からは湯気が立ち、なんとも食欲をそそる甘辛い香りが漂っている。
赤江: おぉっ、大きな鍋。もつ煮込みですか。ほーー、なんともいい色になっていますねえ。では、煮込みと瓶ビールをお願いします。
サッポロラガービールをトクトクと手酌。そして、いただきます!
――ぷっはー!
喉を潤し、胃に落ちるビールを一人堪能する姿には、なんのてらいもない。四季では夏が一番好きだという団長。苛烈な暑さとキンキンに冷えたビールの幸せなギャップ。これも夏が好きな大きな理由に違いない。
ほどなく、煮込みが到着。深い飴色になるまでグツグツと煮込まれた熱々のもつにたっぷりの刻みネギがのっている。早速、ハフホフとほおばる団長……
赤江: ん! おいしい! いいですね、これ。ちょっと予想と違っていました。お味噌の味付けなんですね、よく味が染みていて、なんとも深い味わい。(もう一口ほおばって)それと……どこか洋風の感じもします。
「うちの煮込みには、父の代からフランス料理のテイストも入っているんです」と答えてくれたのは、本館の店長を務める山田研一さん。その解説により、こちらの煮込みが非常に個性的であることがわかる。
一般的なもつ煮込みには根菜や豆腐が入ることも多いが、「山利喜」の場合、具材は芝浦から仕入れる新鮮な「もつ」のみ。なんとも潔い。しかも、もつは牛のシロ(小腸)とギアラ(第四胃)に限定し、濃厚さを引き立てるために脂を取り除いていないものを使う。
大鍋は鋳鉄製。本館と新館で計5台を使用し、毎日つぎ足しながら50kgを仕込む。それでも売り切れることもあるというから、その人気は本物だ。いつのころからか“東京三大煮込み”のひとつにも数えられるようになり、筋金入りの煮込み好きの舌を唸らせてきた。
■「煮込み+ガーリックトースト」はテッパン
赤江: この濃厚な味わい、クセになります。味付けはお味噌ですか?
「ええ、豆味噌を使っています。二代目が関西のどて焼をイメージして豆味噌を使い始めたそうです。そして父がそれをアレンジし、ブーケガルニ(ハーブや香辛料を束にしたもの)や赤ワインを加えるようになりました。うちの煮込みはパンにもよく合うんですよ」(山田さん)
そう聞いたら試さずにはいられないと、団長はガーリックトーストを注文。パンを煮込みの濃厚なタレに浸して、ニンマリ。
赤江: なるほど、これは絶対にパンとセットで味わいたいですね。老舗の居酒屋さんで、まさかガーリックトーストをいただくことになるとは。
あらためてメニューをよく見ると、おもしろい構成になっています。お刺身や冷奴、青菜のおひたしとか、いかにも居酒屋さんといったお料理がある一方で、豚肉と鶏レバーのテリーヌとかパルマ産生ハムグリーンサラダとか、フランス産のセミハードチーズもあります。
あ、自家製お新香盛り合わせもあれば、自家製ピクルスもある(笑)。いい具合に和洋のお料理が混在しています。
創業は大正14年。昨年に創業90周年を迎えた「山利喜」は、大衆居酒屋としては老舗中の老舗だ。本館は店構えも店内の雰囲気もいかにも正統派居酒屋だが、その実、献立は和洋ハイブリッド型になっているのが興味深い。
■新風を吹き込みながら磨かれる「伝統」
初代、山田利喜造さんが店を構えたのは関東大震災の復興期。壊滅的な被害から力強く立ち上がる人々に支持され、繁盛したという。しかし、昭和20年 の東京大空襲で店は消失。利喜造さんも命を落としてしまった。そして、戦後、バラックから店を再興したのが利喜造さんの長男、要一さんだった。
食糧の確保もままならなかった時代、プロの料理人でもなかった要一さんが看板メニューに据えたのが「煮込み」と「やきとん」。肉体労働者が多い森下で、当時貴重だった肉類を安価で楽しめるとあって、「山利喜」はたちまち人気店に成長していった。
「うちの主人は店を継ぐつもりは全くなかったんですよ」と話すのは、本館の給仕や会計を担当する三代目の女将さん。要一さんの長男、廣久さんの奥様だ。
「子供のころ、自宅へ帰るのに店の中を通っていかなければならず、その時にお客さんにひやかされるのが嫌だったようで、自分は店を継がないと宣言していました。
料理の道には進んだのですが、居酒屋からなるべく遠いジャンルをという理由でフランス料理を選びました。そして、長くフランス料理のレストランに勤めていたのですが、先代が体調を崩したのを機にやっぱり店に入ることを決意したんです。
私もサラリーマンに嫁いだものと思っていましたし、主人も随分と悩んでいました。でも継ぐと決めてからは、次第にフランス料理人としての自分の経験も活かすようになって、生き生きと厨房に立つようになっていきましたね」(女将さん)
赤江:ああ、それで「山利喜」さんには本格的なフランス料理もメニューにあるわけですね。代々続く煮込みとやきとんの店に三代目がフランスの風を入れて進化、そして今、四代目の研一さんへと受け継がれようとしているんですね。
継ぎ足しながら赤ワインやブーケガルニを加えてさらにおいしく、そして個性をアップさせた煮込みは、またに「山利喜」さんを象徴的する一品です。
「この辺は古くから職人さんが多い街でしてね、一昔前は仕事が終わったら馴染みの店で一杯やってから帰るという方が本当に大勢いらしたんですよ。うちも随分ひいきにしてもらいましたね。世代が移り、生活スタイルも変わって、毎日外で一杯という方は減りましたが、それでも、なかには週6日いらっしゃる方もいます」(女将さん)
赤江:ははは。営業日は毎日じゃないですか。老舗の居酒屋さんでは毎日のように来る常連さんがいるという話をよく聞きますが、「本当に毎日」というのは初めてです(笑)。もはや生活の一部になっているということですね。
■いつでも誰でも受け止めてくれる
新鮮なもつはぜひ焼き物でも味わいたい。はらみやかしらなど10種ほどあるやきとんはプリッとした焼き加減が絶妙で、ビールに合わないわけがない。
なかでも注目は、軟骨と赤身の肉を一緒にたたいたつくね、軟骨のたたきだ。1日15人前程度の限定品で、早い者勝ちの品だ。
赤江:やきとんもジューシーでおいしいです。たれのお味もほどよくて。軟骨のたたきもいただこうかな。えーっ、もうない? まだ開店から1時間も経っていないのに。じゃ、テリーヌにしようかな。ならば赤ワインかな。
店内を見渡すと女性客もちらほら。電子書籍を読んでいるのだろうか、ひとりでタブレットに目を落としながらワインを傾ける様がなんとも素敵な妙齢の女性もいる。
赤江:やきとんにビールもよし、テリーヌにワインもよし、くさやに焼酎もアリ。その日どんな気分でもしっかり受け止めてもらえて、心から寛げるお店です。
――ごちそうさまでした!
構成:渡辺 高
撮影:峯 竜也
ヘアメイク:高本奈穂子