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団長が行く File No.4

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

「浅草おでん 大多福」

公開日:

今回取材に訪れたお店

浅草おでん 大多福

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なぜアノ居酒屋は時代を超えて愛されるの? お客さんが笑顔で出てくるのはどうして? 近ごろ「女一人でちょいと一杯」にハマりはじめた赤江珠緒さんが、左党たちを惹きつけてやまない「秘密」を探るべく、名酒場の暖簾をくぐる――。

■カラダにしみわたる出汁のうまみ

一年中、国内外の観光客で賑わう浅草。その中心に広がる浅草寺の北側、言問通りを渡ると途端に街は趣を変える。落ち着いた住宅街に飲食店が点在するこの地域は、観音菩薩を本尊とする浅草寺の裏手に位置することから“観音裏”と呼ばれている。

厳しく長い残暑が嘘のように一気に肌寒くなった秋の夕方、観音裏を入谷方面にそぞろ歩き、赤江団長が狙いを定めたのはおでん。大正4年創業のおでん専門店「大多福」の暖簾をくぐった。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

言問通り沿いに佇む「大多福」の玄関は、植栽が整えられた石畳の先にある。扉を開けると、そこにはほどよく照明が抑えられた木の空間が広がっている。カウンターに陣取る団長の目が輝いていた。

赤江:いやあ、これは、たまりませんねえ。お店に入った瞬間にお出汁のいい香りに包まれて、なんとも幸せな気分になります。完全に「おでんモード」のスイッチが入りました。それでは、早速いただきましょう。まずは、瓶ビールをお願いします!

よく冷えたサッポロラガービールが到着し、トクトクと手酌。そして、いただきます!

――ぷっはー!

口と喉が冷たく潤され、熱々のおでんとの臨戦態勢は整った。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

赤江:私、玉子が大好きなので、それは最後にとっておくことにして……やっぱり大根ははずせませんよね。お豆腐もいっときましょうか。それと……練り物系なら……それは、つみれですか。あ、いいですね、つみれも食べたい!

ふわりと湯気をあげるアツアツのおでん。まずは豆腐を一片口に入れるや、団長の目はさらに輝きを増した。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

赤江:この、よーくお出汁がしみ込んだ、お豆腐が口の中でほろほろ崩れてまた、お出汁がカラダにしみわたっていく感じが幸せ! カラダが喜んでいるのがわかります(笑)。

本当にほっとできる“日本のうまみ”という印象です。海外旅行から帰ったら絶対に食べたくなる味ですね。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

「ええ、そうおっしゃるお客様は多くて、実際に成田に着いたその足で来られるお客様もいらっしゃいますよ」

そう話すのは、「大多福」四代目店主の長男である舩大工栄さん。身長185cmの偉丈夫だが、語り口は温和かつリズミカルできっぷがいい。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

同店のおでんは昆布と鰹節でとった出汁に白醤油がベースの味付け。そのつゆをつぎ足しながら、沸かさないように気をつけながら1日12時間ほど煮込む。30数種類あるおでん種一つひとつが味を出し合って、特有のやわらかい味わいを生み出している。

赤江:それでシンプルなようでいて、とても奥行のある味になるんですね。本当においしい。おでんは、おでん種たちのチームワークの料理なんですね。

「実はこのチームから退場させたいヤツがふたりいるんです。こんにゃく、そして、しらたき」

赤江:えっ!? どうしてですか?

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

「こんにゃくとしらたきは自分ではなんの味も出さずに、ほかの種の味を吸うばっかりなんですよ。なのに灰汁だけはいっぱい出すからタチが悪い。それから、大根もおでん屋泣かせですね。味をしみ込ませるのに手間がかかって煮崩れしやすい。それにやっぱり灰汁を出す」

赤江:はははは。私のベスト3、玉子、こんにゃく、大根はどれもチームワークには向いていないかも。作り手ならではご苦労があるんですね。

■大阪から東京へ。戦災を乗り越えた伝統の味

赤江:ところで、舩大工さんというお名前はめずらしいですよね。やっぱりご先祖は舩大工のお仕事をされていたんですか?

「ええ。大阪で代々舩大工をしていたそうなんですが、明治に入って船が木から鉄で作られるようになると大工の仕事が先細りしましてね、鞍替えしようと法善寺の境内でおでん屋を始めました。それが繁盛しまして、しばらくしたところで、うちの直系の先祖が好景気に沸く東京で一旗揚げようと暖簾を分けてもらったそうです。それが大正4年のことです」

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

赤江:ほほう、ルーツは大阪。意外です。もう創業100年を超えるわけですよね、この地で関東大震災も戦争の空襲も乗り越えてきたと。

「残念ながら建物は関東大震災と東京大空襲で2度焼けてしまいました。戦前は座敷をメインにしたもっと大きな店だったようなんですが、戦後の混乱でだいぶ土地が狭くなりましてね、カウンター席だけからの再出発でした。

以前は入口もふたつあったそうです。職人さんたちが調理場兼用のカウンターで一杯やるための入口と、雇い主の旦那衆が芸者さんを上げて宴会をする座敷に続く入口と。互いに顔を合わせて気まずい思いをしないように、そういう造りになっていたんですね。

ご覧のとおり、今の建物はなんとも複雑な構造になっているのですが、それも戦後、一からコツコツお金を貯めては、都度つど増改築を繰り返してきたからなんです」

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

赤江:床がでこぼこしていておもしろいですね。入口から奥へ進むと、上り坂になっているような気がしました。

「はい、実は言問通りから店の奥までは80cmも高くなっているんです。この辺りが空襲で焼け野原になった際、まずとにかく道路を復旧させないと始まりませんから、道路を塞ぐがれきを、とりあえず建物が焼け落ちた敷地に運び入れたわけです。

その後、さあ建物を建てようとなるんですが、敷地はがれきでこんもりとなってしまっている。でも、他に持っていくところもありませんから、そのままがれきの上に建てるしかない。だからこの辺の古い家の中にはけっこう段差や坂があるんですよ」

赤江:へえ、まさかそんな理由だったとは。建物に歴史ありですねえ。

■花街の古き良き時代に思いをはせて

おでん皿からおつゆをひと口。ビールをゴクリとやって、団長はいい笑顔に。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

赤江:ん~、おつゆだけでも、これを肴に吞めちゃうかも。それにしても、おでん以外にもメニューが豊富ですね。お造りから肉と魚の焼き物、揚げ物、なんでもあって目移りしちゃいます。

「戦前は、花柳界が近かったので、料理屋という位置付けでしたから、お座敷遊びをしながら召し上がっていただくような、おでん以外の料理が中心だったんです。それが戦後、店の造りが変わるのと共に、おでんを全面に出すような形にシフトしてきたというわけです」

赤江:そうだったんですか。どうりで。花柳界はいつまでも残ってほしい日本の文化ですが、どこの花街も芸者さんが少なくなっていると聞きます。浅草はいかがですか?

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

「やはり時代の流れでしょうか、だいぶ少なくなりましたね。遊びとしてはなかなかお金がかかるものですから、経営者たちがお金を自由に遣いづらくなってきたという事情もあるでしょうし、お金があってもきれいに遣える粋な方が少なくなってきているのではないでしょうか」

赤江:このカウンターでお仕事をされていると、花街ならではのおもしろい話もお聴きになるんじゃないですか。

「ええ、そりゃもうたくさん。浅草では有名な伝説がありましてね」と舩大工さんは話し始める。

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

昭和40年代後半のこと。ある座敷一面に、なんと木綿豆腐が敷き詰められた。魚を入れる“びく”に筒状にした千円札が何十本も入れたものがいくつも用意され、客である旦那、そして芸者や幇間らは各自そのびくを腰に着ける。三味線や歌を担当する地方(じかた)の音楽に合わせて始められたのは……。

「なんだと思います? 田植えです」

赤江:ええっ! た、田植え? 豆腐の上に千円札を植えていくんですか?

「はい。千円札を苗に見立てまして。そのお金はみんなご祝儀になるというとんでもない遊びなわけですが、話の肝はここから。田植えを終えて、別室で料理を楽しんでいる間に、豆腐とお札の田んぼは何事もなかったようにきれいに片付いている。

つまり、事前に畳も畳職人も、それから関係する人の着物から何から用意していて、誰にも一切の迷惑をかけないように段取りしていたんです。派手に遊ぶならそういう配慮も忘れてはいけないというエピソードでして、こういった話は浅草にはゴロゴロあるんですよ」

赤江:豪快な遊びは繊細な気配りによってなされる。なんとも深いお話ですねえ。さすがに今は、「豆腐はスタッフがおいしくいただきました」というところまで配慮しないとコンプライアンス的に問題だから、ちょっとマネはできないかな(笑)

浅草「大多福」出汁の香りに包まれる”口福”な時間

おいしいおでんとまるで落語のような楽しいお話。いい浅草の夜になりました。

――ごちそうさまでした!

構成:渡辺 高
撮影:峯 竜也
ヘアメイク:高本奈穂子

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