秋葉原は、神田和泉町へ
サッポロラガービール、愛称「赤星」を飲める酒場を巡り、飲みかつ食べる「赤星酒場見聞録」。新シリーズ9回目となる今回は、東京の下町、神田を訪ねます。
最寄り駅は秋葉原だが、昭和通りを渡った東側の住所は千代田区神田和泉町である。神田エリアでは、神保町、須田町、淡路町、錦町などの町名に神田の二文字を残し、神田神保町、神田須田町といった昔の町名のままにしているのだ。日本橋も同様だが、こうした旧町名が残る一画を、その名のついた由来に思いをはせながら歩くのは楽しい。
たとえば神田紺屋町なら、江戸時代に染物屋さんがこの界隈に集まっていたことからこの名がついたとされる。紺屋とつくのだから、藍染めかな。そんなことを思いながら歩く。
さて、神田和泉町の町名の由来とはどんなものか。
江戸時代、この一帯は伊勢国津藩の藤堂家の上屋敷だったそうで、お殿様が代々、和泉守を名乗っていたことから和泉町の名がついた。ははあ、お屋敷跡ですか。由緒正しい土地なんですな……。と思いながら歩くのですが、この辺り、現在は小さな会社が立ち並び、秋葉原の賑わいが意外なほどに静かである。
そんな街に、今回お訪ねする「俵や」はある。
1989(平成元)年にオープンした居酒屋は、今年で開業から38年目を迎えた。引き戸に縄暖簾が掛けられ、その前に重ねたビールケースに、「只今 営業中 です」の木札が置かれ、シブイ入口全体を赤提灯が照らしている。
さっそく入店してカウンター席につく。まずは赤星。店内の品書きを見渡しながら頼む。黒板にびっしりと酒肴の名が書き連ねてある。さて、何を頼もうか。ポテトサラダと、何か揚げ物はどうか……。考えていると、お通しを出してくれたご主人が、
「タコぶつはいかがですか」
と声をかけてくださった。
タコぶつ、いいですねえ。もらいます。間髪入れずに頼み、ビールをコップに注ぐ。
嬉しい大瓶、なんと税込み715円、破格の安さだ。
改めて品書きの黒板を見上げると、タコぶつは、この店の名物であると表記されている。いかにも、酒肴に自信ありの居酒屋ではありませんか。
そして現れ出でたるポテサラとタコぶつ。ポテサラは、ジャガイモのシャキシャキ感を絶妙に残し、マヨネーズのしつこさを感じさせない上品な味付けの一品だ。
たこぶつに、ため息が出た
そして、このタコ。
すばらしい。うまいですねえ! と、自然に声が出た。
「モーリタニアのタコです。日本のタコだと、これほど柔らかい食感にならないんですよ」
へえ、そういうものか。ピカピカでプルプル。噛みしめるとジワリとうま味が口に広がる。
飲み始めの2品目にして、フーッとため息が出るような酒肴に出合ってしまった。
今回も赤星酒場見聞録の取材隊は大所帯だ。広告、編集、営業、マーケティングなどのスタッフのほかに、現場を預かる編集ナベさんと写真のキヨコさん、それから私を含めて合計7名。すみませんねえ、お邪魔します、と言いながら、飲んでは食べる仕事熱心な集団だ。
私のいるカウンター席とは別にテーブルにつき、赤星を2本、3本と注文。酒肴も次々に頼んでいく。どんどん頼んでみんなで食べる。それが取材隊のいつものスタイルだ。
店は、ご主人の今井洋介さんと息子の翼さん、それからテーブルを担当する男性と女性の4人で切り盛りしている。
洋介さんは1969(昭和44)年生まれ。もとは、懐石料理店で職人として修業を積んだという。
「おっかない先輩たちがたくさんいた時代ですね」
私が水を向けると、
「昔はね、それは厳しかったですよ」
と笑う。
息子の翼さんも、和食の鉄人の系列店で修業を積んでいる。つまり、こちらの店は、日本料理の修業を積んだ親子による酒場なのである。
マグロなどが入っているネタケースの上の皿にハムカツと思しきものがある。黒板を見ると、たしかにハムカツがある。当シリーズの前身「赤星100軒マラソン」時代の写真家はハムカツを素通りできない人だった。ふとそれを思い出し、彼を追憶しつつハムカツを注文。
一方、現在のシリーズで辣腕をふるうキヨコさんは、なぜか、やや恥ずかしそうにグラタンカニコロッケを注文した。
「この油揚げを、焼くんですか」
「ああ、それは、揚げの中に玉子サラダを詰めてあるんです。油揚げを供えるのはキツネだから、こんこん焼きって、呼んでいます」
油揚げの中に何か詰めるといえば納豆くらいしか思いつかない私は、玉子サラダと聞いて俄然興味をもち、これも注文した。
赤星を追加して待つことしばし。
やってきました、ハムカツです。実にオーソドックスで、パリっとした感じだ。カットレモンと辛子を侍らせ、礼儀正しく並んでいる。
齧るとハムは肉厚で、衣はほどよいボリューム。これぞスタンダードハムカツ、と呼びたくなる。
ふと気が付けばキヨコさん、やや恥ずかしそうに頼んだグラタンカニコロッケを勢いよく食べている。
あの恥じらいは何だったのか。
そこへ出てきたのが、こんこん焼きだ。油揚げに玉子サラダが詰められているということだったが、切ってある断面を見て、ああ、こういうことかと納得した。玉子サンドのパンが油揚げになったと思えばいい。表面をカリっと焼いてある。塩コショウしてあるので、そのまま齧る。
うまい。これは、うまいです。
「こんこん焼き、ずっと前からあるメニューなんですか」
「2年前くらいかな。30年前からやってるのは、ポテサラとキヌカツギくらいかな(笑)」
あ、そうなのね。まあ、いいや。じゃ、話のついでだ、そろそろ旬も終わるキヌカツギをいただくことにするか。その横に盛られている肉厚のシイタケも魅力的。これを炙ってもらって醤油と七味で齧るというのもいいなあ、とさらに目を転じると、きれいなネギが視界に飛び込んできた。
ネギを齧る、齧る
「このネギは、炙るの?」
「いえ、生でお出しします。栃木県の大田原市や那須町で獲れる白美人ネギです」
翼さんが教えてくれた。
ハクビジンって読むんだそうですよ。見るからにきれいなネギでね。私はネギが好きだ。素通りできない。ということで白美人、いただいてしまおう。
このネギがまた印象的だった。
辛くない、臭くない。とにかく新鮮、歯ごたえ抜群。そしてほんのり甘いネギだ。塩をふってそのままで食べてもいいが、緩いペースト状のソースも添えられている。おお、ハクビジン・バーニャカウダであるか。ディップして食べるとさらに格別だった。定番の味噌マヨネーズとのことなのだが、こちらの店ではそこに酒を加えているという。なるほど。砂糖じゃなくて、酒の旨味だったのか。
私は夢中で、うまいネギを齧る、齧る。
取材隊の若手たちとも料理をシェアしながら赤星をさらに追加。ネタケースの中を凝視していたキヨコさん、おもむろに頼んだのは本マグロの咽喉。シブイなあ。それを追いかけるように、編集ナベさんは、赤身を追加。店ではマグロの頭の部分をまるごと仕入れてくるという。喉のほかに脳天や頬の照り焼きなども楽しみたいが、それは次回に譲ることにしようか。
なにしろ、こちらの店、出るもの出るもの、みんなうまいので、とても1回の訪問では食べきれないのだ。
鳥ハラミポン酢、メヒカリの唐揚げ、肉豆腐……。取材隊からは次々に注文が出る。
赤星も1本、また1本。
店員が休みに通う
私が見ていたのとはまた別の黒板を眺めていた編集ナベさんが、ご主人に質問した。
「あの、メニューについている星印は何ですか?」
「おすすめ、の印です」
「この黒板、全部に印ついてるじゃないですか」
「そうです(笑)」
ナベさんがその中から選んだのは、豚肉白菜漬け炒めだった。これはどんな料理だろう。
ご主人が説明してくれた。
「毎朝7時に家を出て、荒川の市場へ仕入れに行っています。その市場の顔見知りから白菜漬けをいただいたんですよ。塩漬けの白菜です。店で使えないかなと思いまして、豚肉と炒めてみたんですよ」
なるほど。これはご飯にも酒にも合う料理だ。軽く発酵した白菜漬けと豚肉の相性はとてもよく、豚キムチとは風味が違うけれど、あっさりとしていながら味わい深い。飯のおかずにしたら、小食の私でもお代わりをしそうだ。
店は開店から1時間もすると満席になっている。ご主人と翼さんは調理にかかりっきりだが、ホールを預かる2人の連携がすばらしく、万事、淀みなく流れる。どのテーブルも楽しそうに、飲み食いをしている。
お運びをしている女性のにこやかな表情を見ながら、店が混み合う前に彼女が言ったことを思い出した。
「私は毎日出勤じゃないんですけど、ここのお料理はなんでもおいしくて、お休みの日にも食べに来てるんですよ」
いい話だなあ。聞いているこちらの胸も温かくなってくる。神田和泉町の「俵や」さん。またまた、最高の居酒屋さんに巡り合えました。
(※2026年3月25日取材)
取材・文:大竹 聡
撮影:衛藤キヨコ



と赤星
と赤星


