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100軒マラソン File No.9

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

「水口食堂」

公開日:

今回取材に訪れたお店

水口食堂

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浅草は、なんとも懐かしい街です。

とは言っても私は多摩生まれの多摩育ち。都心に雪がちらつく晩に何センチか積もるようなエリアに、今も住んでいる。だから、懐かしいとは言っても、子供時代を過ごした思い出があるわけではない。

けれども懐かしいのは、私の父親が育った東京下町の匂いを色濃く残しているからだろう。

父のそのまた両親は東北の出身で、東京は神田で出会い、所帯を持ち、昭和ゼロ年代に父をもうけている。3代住んではじめて江戸っ子と名乗ってもいいらしいから、そういう意味では父も、もちろんこの私も江戸っ子じゃない。

ただ、父や、彼のすぐ下の弟、つまり私の叔父などの言葉つきには、江戸っ子風がたしかにあったなと思う。神田や浅草出身の人と話すと、それを思い出す。

だから、なんとなく懐かしい。一杯飲み屋で昼間っから飲んじゃ場外馬券場に馬券を買いに走るオヤジさんたちの姿に、懐旧の念を覚える。

何かというと「バカヤロー!」のひと言が出てきたりする飲み屋の会話を聞いているだけで、楽しいのだ。実は、私がすでにして、そういうお父っつぁんの仲間入りをして久しいのであるが。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

■飯にもビールにも合う「看板メニュー」

水口食堂は、WINS(場外馬券売り場)にも浅草演芸ホールにも近い。

観音さんの裏手もいいが、やはり、昔の六区はいい。一時、人の行き来も少なくなったと聞いたし、自分でもそんな気がしていたけれど、昨今は、客足が戻ったどころか海外からのお客さんも増えてたいへんな賑わいを見せる一角になっている。

そんな賑わいの一角にこの食堂はある。

店の看板には「食事処・酒肴 水口」とある。文字通り、食事ができて、酒も飲める店だとひと目でわかる。

「今日は少し暇なんですよ」

女将さんがそう言うので、これ幸いとばかりにお話を聞く。店の開店は昭和25年という。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

「先代は、つまり私の両親ですけれども、同じ浅草の三筋町のほうで商売をしていたんですね、それが大空襲で焼かれてしまって、ここへ新しい店を出したのが昭和25年。浅草の戦後の全盛は昭和30年代で、あの頃はね、六区の通りの向こうへ渡るにも困るほど人の行き来があったのよ」

ああ、とため息が漏れる。

というのは、私が浮世へ転がり出たのは昭和30年代も終盤であるからなのだ。その当時、すでにして浅草は、殷賑の極みにあった。当時の兄さん姐さんたちと一緒に飲んだり玉突きしたり、いろいろしたかったなあ……という、ため息だ。

無性に酒を飲みたくなる。まずはビールだ。

「瓶ビールください」

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

出てきたのはサッポロラガービール。下町の古い店には赤星を扱う店が多いような気がする。

コップに注いでぐいっとあおり、つまみには、「いり豚」を頼む。これ、入店前にひとわたり眺めた店舗前のショーケースで目に付いたひと品なのである。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

皿があり、その前の札には「いり豚」と記されていて、英文表記が添えてある。

IRIBUTA Our Original(sauteed pork and onion)

豚肉と玉葱のソテー、と言われると、俄然洋風に見えるから不思議なもので、さて、どんな一品であるのか、気になったのだ。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

おいしいんですな、これが。

昔から、各種定食のほかに中華そばなども提供してきたから、焼き豚づくりには歴史があって、当時のご主人とコックさんが相談し、なにか飯に合うバリエーションはできないかと工夫したのが、この「いり豚」。店の看板メニューになっていると、女将さんは説明してくれました。

どんな味わいか。なかなか複雑なのでありまして、説明が難しいのですが、まず、ウスターソース、それからケチャップ、香りとしてはカレー粉も感じられる。ご飯に合わせたらうまいだろうなと思わせるのは、カレーやハヤシライスのルーにも似ているからでしょう。

飯に合う、ということは、ビールにはまず合いますな。もちろんサワー類にもいいだろうし、つまり、おかずとしても、そして、つまみとしても活躍する一品なのである。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

■メニューはなんと100種類以上

はあ、いいなあ。とため息交じりに見回せば、この店、かなり広い。女将さんによれば、1階と2階を合わせて90人は入るという。

しかも2階では、BSで放映されているお笑い番組のトーク部分の収録も行なわれているとか。私もね、観たことがある番組で、というより何度も観ておりますが、あの場所が、ここの2階だとは思わなかった。

けれども、場所が場所だ。落語家や漫才師、寄席や劇場の関係者のみなさんがしばしば利用される店なのである。こんなところも、浅草の魅力。下町の魅力です。

人気のメニューは数々あれど、多くのお馴染みさんが足繁く通ってなお飽きないくらいの品数が揃っている。

しかも、午前中からの通し営業。まったくもって、ありがたい限りですが、それを支えるのは4人の調理場担当。

店のメニューはすべて手づくり。揚げ物だってなんだって、タネから全部、仕込む。コロッケは人気上位の定番ですが、もちろん、その日の朝に芋を蒸かすところから始めて、ひとつひとつ、からりと揚げるわけですな。うまいに決まってる。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

見れば、調理場が広い。

「昔はここ、3軒長屋でね。そのうちの1軒だったんだけど、裏の店をくっつけて、今の大きさにまで広げて、そのとき調理場もつくったから広いのよ。この建物は、昭和45年に建てました」

昭和45年といえば1970年、大阪で万国博覧会が開かれた年ですが、それ以来と考えると、もう46年も経つのに店内は驚くほど清潔だし、古びていない。

その昔、店には、浅草の露店商や映画館などで働く人たちが大勢やってきた。朝、店を開けるとすぐに満席になるほど賑わった。

煮魚、焼き魚、刺身にフライなどの魚の定食に加え、スパゲティやハンバーグ、各種炒め物などは今も変わらぬ人気のメニュー。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

昨今、外国人のお客さんが増えて、それ故に、ショーケースのメニューにも英文を添えているわけだけれど、欧米からのお客さんにはマグロの刺身、イカ焼き、サーモンやブリの照り焼きなどが好まれるという。

中国からのお客さんも、最近では生キャベツを平気で食べるし、刺身だって食べるようになったそうだ。

おもしろいねえ。どんどん日本に慣れている。そのうち、こっちがチンタラ飲んでいたら、外国人のダンナからこんな風にどやしつけられる日が来るかもしれない。

「おい、混みあってるんだから、長っ尻するんじゃねえや!」

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

■居合わせた客との会話もまた楽し

編集Hさんと写真Sさんのグラスにもビールを注いで、いり豚を一緒に味わいつつ、次に頼むのは、そう、シーズンですからね、牡蠣ですよ。牡蠣フライでいこう。

新規の瓶ビールは、1本目の終わりのビールに比べて、少しだけ冷たく、かすかに舌にぴりっとくる新鮮さが、やはり、強みというもの。このご新規感を大事にしながら、揚がったばかりの牡蠣フライを、見るからにうまそうなタルタルソースにつけて口へ放り込む。

熱ッ!と慌てながらも、牡蠣の肉から滲みだす旨みをしっかり受け止め、よく味わうのだ。そして、ビールをぐびり。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

あ~あ。こんなにうめえものは、そうそうないね……。単純極まりないが、そういう思いがわいてくる。実際、この時期の牡蠣フライでビール、という組み合わせは比類ない。

俄然、食欲がわいてくる。壁の品書きには、我ら3人でも到底喰いきれない数の料理、酒肴の名が連なっている。

食堂っぽいものを食べたい。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

そこで、選んだのは、ハムエッグ。パリパリに焼けた白身の縁のあたりと分厚いハムを上手に重ね、そこに黄身の部分も少しばかり箸の先で切り取って乗せ、ケチャップを少し。そうしておいて、大口を開けて食べる。

またまた飯が喰いたい。そしてもちろんビールをもらいなおす。

勢いがつく。Hさんはマグロのづけ焼きを追加。お隣のテーブルに来られたご婦人2名(姉妹とのことです)と寅さん話で意気投合したSさんは、ご婦人たちが是非にとすすめるシューマイを注文。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

ご婦人のひとりが言う。

「ここのシューマイね、私の母が昔、信州のお店で出していたシューマイによく似ているのよ」

「とても、おいしいです」

とSさん。

「そう言ってもらって、嬉しいわ」

Sさん、ご婦人とすっかり馴染んでいらっしゃる。こんなふうに、隣り合わせた人と目が合っただけで会話が始まるのも、下町の、いや、浅草の、他所の土地には求むべくもない、場所柄というものでしょう。

いや、おいしい午後になりました。

浅草六区、往時の賑わいを物語る“IRIBUTA”の味

取材・文:大竹 聡
撮影:須貝智行

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